Friday, October 23, 2009

A論文「原羞恥と原音楽」3、ダライ・ラマとウィトゲンシュタインの相関性とドーパミン

 私はかつてダライ・ラマ十四世<テンジン・ギャムツウォ>のテクストを文庫本で読み(「ダライ・ラマの仏教入門心は死を超えて存続する」)感動したことがある。そのことを思い出すのに多少時間がかかったのは、私が当時そのテクストを読む前に既に読んでいた幾つかのウィトゲンシュタイン(哲学者)のテクストとの私に感じられた大いなる共通性をテーマとした「ウィトゲンシュタインとダライ・ラマ」という短い論文を書いていたことがあるのだが、当時黒崎宏氏の論文に「竜樹とウィトゲンシュタイン」というものがあり、つまり西欧哲学と東洋哲学の邂逅というテーマのものは既に多くの著作が世に出ていて私がその当時「これはなかなかいい着眼だぞ。」という考えが直ぐに無残に打ち砕かれて、論文を発表することをやめることにして、その後ウィトゲンシュタイン以外の多くの哲学テクストを読み(その中にはその当時読んではいなかったカントとか西田幾多郎とか大勢の巨匠たちがいる。)それから再びその当時抱いた感想についてもう一度振り返ってみようという思いが私にあったからである。
 ウィトゲンシュタインが近代以降の哲学者として歴史的な文脈で語られる時、彼固有の世界像という捉え方があるように思われる。例えばそれは世界の限界といった「論理哲学論考」期の捉え方から、中期の言語ゲーム理論とか、後期の私的言語理論とかの生涯を通した彼のライトモティーフからも読み取れる。彼は写像という概念を初期の段階で捨て去り、それ以降はあまり使用しなくなったが、この写像という概念の初期使用は私の考えでは後期になってその語彙を使用しなくなっても尚どこかに資質的には濃厚に彩られていると今では感じられる。それは一体どういうことなのだろうか?そして私が始めてダライ・ラマのテクストに接した時に抱いたウィトゲンシュタインとの共通性とは一体何だったのだろうか、ということを考えながら今日の脳生理学とか脳神経学が注目する考えの幾つかの例を挙げながら、私の考える原羞恥と原音楽という考え方に結び付けてみようと思う。
 まず私たちの時代に近い、つまり現存者であるところのダライ・ラマ十四世の生年から辿る時代背景を探り、その後ウィトゲンシュタインの生年から辿り、その両者の相違と共通性を考えていってみよう。
 ダライ・ラマ十四世(以後ダライ・ラマとだけ省略する。)は1935年7月6日にチベット北東部タクツウェルに生まれた。因みにこの同じ年には色々な人が誕生している。この年は日本の年号からすれば昭和十年である。まず出色な天才から言えば同年の1月8日にエルヴィス・プレスリーが誕生している。音楽畑では小沢征邇(9/1)が誕生しているし、思想界からはエドワード・サイード(11/1)が、また文学者あるいは作家系列からは大勢同年生まれにいる。例えば阿刀田高(1/13)、大江健三郎(1/3)、大藪春彦(2/22)、畑正憲(4/17)、園山俊二(4/23)、久世光彦(4/17)、ジェームズ三木(6/10)、フランソワーズ・サガン(6/21)、赤塚不二夫(91/14)、倉橋由美子(10/10)、マイケル・ウィナー(10/30)、ウッディー・アレン(12/1)、寺山修司(12/10)といったところ。あるいはスポーツ界からは仰木彬(4/29)、野村克也(6/23)、杉浦忠(9/17)、土橋正幸(12/5)といったところである。芸能界、放送界からは三輪明宏(5/29)、筑紫哲也(6/23)、吉行和子(8/9)、八名信夫<元野球選手>(8/19)、田宮二郎(8/25)、浜木綿子(10/31)といったところである。政治界からは羽田孜元首相が誕生している。
 この時代は第二次世界大戦が幼少期にあり、彼等は終戦の年に皆10歳を迎えている。そういう意味では極めて戦後世界の秩序が再編された時代の空気を肌で感じ取っていた世代と言える。
 それに対してルドウィッヒ・ウィトゲンシュタイン(1889年4月26日~1951年4月29日)(因みに彼と同年に亡くなった著名人もいるのだろうが没年というのはその人にとってプライヴェートなだけであり、公的なその人の時代的性格には関係ないものと見做し一切記載しなかった。)と同年には次のような人々がいる。
 作家、思想家、芸術家系列では夢野久作(1/4)、ヴィクター・フレミング(2/23)、岡本かの子(3/1)、和辻哲郎(3/1)、柳宗悦(3/21)、アーノルド・J・トインビー(4/14)、チャーリー・チャップリン(4/16)、内田百閒(5/29)、室生犀星(8/1)、国吉康雄(9/1)、マルチン・ハイデガー(9/26)、そして政治界、実業界、その他では石原莞爾(1/18)、堤康次郎(3/7)、木戸幸一(7/18)、熊沢寛道<熊沢天皇>(12/8)、そして科学者では山本一清<天文学者>が(5/27)というラインナップである。
 ここに列挙したリストは全てインターネット上のウィキペディアによるものである。しかし私自身の個人的な調べにおいても半数以上私はウィキペディアを見る以前からデータとしては知っていた。つまりある年には枚挙に暇がないくらいに著名人が誕生しているかと思えば、全くそういうことのない年もあるということはあるのだ。そしてこの二人に共通しているところは、同じ年に傑出した天才が多く生まれている、ということである。尤もそのことを述べるのがこの章の目的ではないので先を急ごう。
 生年月日の順から言えば、ウィトゲンシュタインという哲学者は、哲学界からも、それ以外の思想界、言語学界からも、科学者からも絶大な影響力を戦後に齎したが、彼自身は天才であるという自覚を持っていたが、哲学者としての正当な順序を踏んだ、要するに順当な道筋を踏んだ天才ではなかった。事実彼は彼を先輩と仰ぐ俊才ギルバート・ライルにとっては、尊敬すべき先達であるものの、その異端性において「自分は哲学者の名前を殆ど知らない。」という正当的手続きを踏まないでも尚天才的閃きの人間であることをことある毎に強調するような取り巻き連中に対する教祖的態度にいささか業を煮やしたという逸話も残っている。つまりライルはウィトゲンシュタインほどの天才ではないが、かと言ってどうでもいい哲学者ではない。寧ろある意味ではウィトゲンシュタイン以上の正当的な手続きを踏んだ哲学者であり、とりわけデカルト的な視座においては遥かウィトゲンシュタインを凌駕するものがある。つまりウィトゲンシュタインは異端的でありながら普遍的なことをメッセージとして残した天才であるということである。
 一方ダライ・ラマは正当的な評価と尊敬心を集める偉大な思想家と現代では目されている。彼についてのデータに関しても実はかなり詳細に発見出来るのだけれど、ここではダライ・ラマの歴史的事実を探求する政治的目的があるわけではないので、最小限に留め、ネット検索で主だったものだけを記載しておこう。
 1989年にノーベル平和賞を受賞したチベットのゲルク派の最高位、仏教博士号(ゲシェ・ラランバ)を持つ僧侶で、チベット仏教全宗派の教えを継承し、研鑽を積む。教え・実践両面に渡り、最高権威者(チューム・ギャルポ、法王)として広く認められている。チベット亡命政府指導者。チベット亡命政府とは1949年中国人民解放軍がチベットへ侵攻、1956年勃発した「チベット動乱」を経、1959年3月17日隣国インドへ政治亡命する。(23歳の時)彼は出自としては士族の農家に生まれ、2歳で13世ダライ・ラマ、トプテン・ギャツォの転生と認定され、ジェツン・ジャンベル・ガワン・ロサン・イシ・テンジン・ギャツォ(聖主、穏やかな栄光、憐れみ深い信仰の護持者、智慧の大海)と名付けられた。現在インドにチベット亡命政府樹立、チベットの高度の自治権を主張、度々日、米、欧州諸国各地へと世界平和、チベット国家の平和樹立に関する講演、運動のため訪問、その度に中国政府からその国々に外交ルートを通して横槍が入り、外交問題化してきている。然し中国と国交を結ぶ各国指導者や著名人の中にも支持者多く、それが評価され1989年ノーベル平和賞を受賞したが、「ダライ・ラマ14世」は中国政府ネット検閲に掛る禁止ワードであり、ノーベル平和賞受賞に対して完全無視を決込んだだけでなく、関連図書の持込さえ禁止されている。チベット人たちは中国政府によるネット検閲に利得優先で加担した米企業googleを批判している。
 私たちは単にウィトゲンシュタインを哲学、ダライ・ラマを宗教思想と類別して見る癖がついている。しかし今私たちをある危機的状況に立たされているゲーム・プレイヤーだとしよう。(それはしかし現代という時代に立たされている我々にとって昨今特にだが、ある程度事実であるのだが)我々にはオッズが知らされている。そしてそれぞれが賭け金を提示する。その時私たちは負けて全てを失う可能性が高いことを知っていてさえ、私たちにとって長年の相棒であるゲーム・プレイヤー(彼の差し手は他のプレイヤーからここのところ悪評を買ってきている。)にとって得策となる手を打つことを選択することもあるだろう。つまりそのような利他的行動を敢えて選択することで、どこか本能的に好結果を福音として享受することを無意識に待ち望んでいるかのように。それはある意味では自分の愛を失ってしまうことを承知でユジンやチュンサンに互いの愛を貫くように諭すチェリンや自らの愛と真実の告白をせずに一人沈黙したまま渡米しようとするチュンサンの行動をも想起させる。今ウィトゲンシュタインとダライ・ラマをもし仮に同一のフィールドで見極めようとするなら、明らかに二人は利他的自己犠牲に邁進せんと欲するゲーム・プレイヤー理論の推奨者とさえ言えると私は思う。
 そのことを理解するためにまずウィトゲンシュタインのテクストから続いてダライ・ラマのテクストから断章を抜粋しながら、その言わんとする真意について探ってみよう。

「論理哲学論考」

1、1世界は事実の寄せ集めであって、物の寄せ集めではない。
1、13論理的空間の中にある事実が世界である。
1、2世界は事実へと解体する。
1、21どのことがらも、成立することがらができ、あるいは成立しないことからできる。そしてその余のことがらはすべて同じままでありうる。
2、0271対象とは、不動のもの、存続するものである。対象の配列は、変動するもの、移ろいやすいものである。
2、0272対象の配列が事態を構成する。
2、031事態のうちで対象は特定の仕方で交互に関係する。(ゲームの規則。以後斜字は全てKawaguchiの加筆)
2、032事態のうちで対象が結合する仕方が、事態の構造である。(友情)
2、033事態の形式はその構造の可能性である。(ゲームの展開)
2、13映像の中では、映像の要素が、対象に対応している。
2、141映像は一つの事実である。(茂木健一郎の視点との共通性)
2、223映像が真であるか偽であるかを知るためには、映像を事実と比較せねばならぬ。(国際情勢の把握)
4、112哲学の目的は、思想の論理的な浄化にある。哲学とは論理ではなく、行動である。
5、135ある状況がなりたつことから、それとまったく異なる他の状況がなりたつことは、いかにしても推理できない。(一回性の原理)
5、1361現在のできごとから未来のできごとを推理することはできない。(確率論)
5、1362未来の行動を現在知りえぬところに、意思の自由が存在する。因果関係が論理的な推論の必然性と同じ内的必然性であるなら、そのときはじめて、われわれは未来の行動を知りうるであろうが。_知る行為と知られたことがらとの関係は、論理的な必然性にもとづく関係である。(AはPがなりたつことを知っている)という命題は、Pが同語反復命題であるとき、意味を欠く。)
5、5421(前略)今日の軽薄な心理学が理解するごとき魂とか主題とかは妄想であることがわかる。じっさい合成された魂などといものは、もはや魂ではあるまい。(全体性の主張)
5、55いまやわれわれは、要素命題の、あらゆる可能な形式についての問いに対して、経験によることなく答えなければならない。
5、6わたくしの言語の限界はわたくしの世界の限界を意味する。(彼の後の独我論や言語ゲーム理論の萌芽。私は「論考」に殆ど全て後の彼の軌跡を兆候させるものがあると考えている。)
5、63私とはわたくしの世界にほかならぬ。(つまり小宇宙)
5、632主体は世界には属さない。それは世界の限界なのだ。
5、634(前略)われわれが見るすべてのものは、それとは別の仕方であってもよかった。事物には、先天的な秩序は存在しない。
5、64ここにおいて、独我論を徹底すれば、純粋の実在論に合致することがわかる。独我論の自我は延長をもたぬ点へと萎縮し、残るものはそれに対応していた実在のみとなる。
5、641だから、心理学とは異なる方法で哲学が問題とすることができる。自我の意味はたしかにある。「世界とは私の世界にほかならぬ」という宣言を通じて、自我な自我。それは人間ではなく、人間の肉体ではなく、心理学のあつかう人間の心ではない。それは形而上学の一郭を形作るものではないのだ。
6、362記述されるものはまた、生起しうる。因果法則が容認せぬものはまた、記述されない。
6、363われわれの経験と調和しうるもっとも単純な法則の存在を認めるところに帰納の手続きがなりたつ。
6、3631しかしこの手続きは論理的な根拠にもとづくものではない。それはたんに心理的な根拠に由来する。
6、37ある事件が起こったからといって、それにともない別のある事件が起こらなければならぬ筋合いはない。必然性は論理的な必然性にかぎられる。
6、372(前略)すべての問題が解明されたごとく思いなすのに比べ、昔の世界観は解明の限界を明瞭に承認していた点、はるかに透徹していた。(現代認知科学のある人々に聞かせたい)
6、373世界はわたしの意志から独立している。
6、4311死は人生の出来ごとにあらず。ひとは死を体験せぬ。永遠が時間の無限の持続のことではなく、無時間性のことと解されるなら、現在のうちに生きる者は永遠に終りがない。われわれの視野に限りがないように。
6、4312人間の魂が死後永遠に存続するということ、これにはどんな保証もないし、それどころかこれを仮定したところで、ひとがそこに託した希望はけっして満たされない。そもそも、わたくしが永遠に生き続けることによって、謎が解けるというのか。そのとき、この永遠の生命もまた、現在の生命にひとしく、謎と化さぬか。時間、空間のうちに生きる生の謎の解決は時間、空間のかなたに求められるのだ。
6、44世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ。
6、5いい表わすすべのない答えに対しては、また、問いをいい表すすべを知らぬ。
6、52科学上のありとあらゆる問題はいささかも片付かないことをわれわれは感じている。もちろんそのとき、すでにいかなる問いも残っていない。まさにこれこそが解答なのだ。(諦念)
6、521ひとは人生の問題が消滅したとき、その問題が解決したことに気づく。(死だけが問題を解決する。生とは死すまで問題が解決しないことを意味する。)
6、522いい表せぬことが存在することは確かである。それはおのずと現われ出る。それは神秘である。
6、53哲学の正しい方法とは本来、次のごときものであろう。語られうるもの以外になにも語らぬこと。ゆえに、自然科学の命題以外になにも語らぬこと。_そして他のひとが形而上学的なことがらを語ろうとするたびごとに、君は自分の命題の中で、ある全く意識をもたない記号を使っていると、指摘してやること。この方法はそのひとの意にそわないであろうし、かれは哲学を学んでいる気がしないであろうが、にもかかわらず、これこそ唯一の厳正な方法であると思われる。
6、54(前略)語りえぬものについては、沈黙しなければならない。(リスク回避としての原羞恥)

「ダライ・ラマの仏教入門」(Meaning of Life)
<数字表記はページ数によるものとする。>

50、(前略)それを探し求めたとき見出すことができないという事実は、ある特定の要素の集合体に基づいて名前が付けられているもの以外には「私」は存在していないということを示しているのです。それでもなお「私」というものは、具体的に指し示すことができるようなもの、非常に具体的なものであるかのように私たちの心に現れてきます。そしてこのような誤った現われに屈するとき、私たちは困難に陥っていくのです。
 「私」が具体的なものであるかのように現れるということと、考察したときにそれを見出すことができないという、この相容れない二つの事実は、「私」というものの現れ方とその実際のあり方の間に食い違いがあることを示しています。(ウィトゲンシュタインの項、2、223と比較せよ。)
51、対象は実体として存在しているように見えるものの、実際にはそのような実体性はないのです。(同じく5、6と5、63と比較せよ。)
86、確かに「全体」なるものは存在しているのです。しかし、それはそれを構成する部分に依存して名付けられたものであり、それ以外のあり方では存在しないのです。(同じく5、5421と比較せよ。)
88~89、たとえば、ダライ・ラマたる「私」は、この体によって区切られた領域の境界内に存在しているものには違いありません。ここ以外のどこにも見出せるはずはありません。これは確かなことで疑う余地はありません。しかしながら、あなたが、本当のダライ・ラマを、本当のテンジン・ギャムツウォを探し求めたとき、この体の中にも心の中にも「私」という実体は存在しないことに気づくはずです。それにもかかわらず、ダライ・ラマの存在は事実であり、それは人間であり、僧侶であり、チベット人であり、言葉をしゃべるものであり、飲み物を飲むものであり、眠るものであり、何かを楽しむことのできるものであるのです。そうではありませんか。このことが「それが見出すことができないにもかかわらず、そのものが存在している」ということを十分に論証しています。
 このことは、「私」という名前の付けられる基礎となっているもののなかには、「私」という観念に対応する実体、あるいはそのように名付けられる具体的な存在はない、ということを意味しているのです。「私」という実体は、その名前を付けられている複数の諸存在の複合体の上に、意識の上に仮に設定されただけの存在なのです。
 しかしこれは、「私」というものが存在しない、ということを意味しているのではありません。「私」は明らかに存在しています。しかし、それが存在しているにもかかわらず、それが占めている空間を構成しているもろもろももの_それに対して「私」という名前が付けられているのですが、それら_のどこを探しても「私」という実体は見出すことができないとき、私たちは次のように考えねばなりません。
 すなわち、その「私」はそれ自身の力によって成立しているのではなく、他の諸条件の力によって成立しているものにすぎない、というように。「私」は、それ以外のどのような仕方でも規定することはできないのです。(同じく5、641と比較せよ。)
90、「私」というものが存在するために依拠しているもろもろの条件のうち、もっとも重要な要素の一つに「概念的思考」があります。それゆえ、「私」あるいは、ほかのさまざまな事物は概念化の力によって存在している、と言われています。(同じく5、64と比較せよ。)
92、(前略)行為の因果関係も可能となり、その行為の基本たる「私」もまた存在することができるようになるのです。それ以外の仕方は「私」は存在することができません。人はこのことを理解したときに、物事が実在しないというニヒリズムに陥るのを免れることができるのです。
94、(前略)仏教は宗教にも純粋な科学にも属しません。しかしこのような状況は、私たち仏教者にとって、信仰と科学の間に橋を架ける絶好の機会を提供していると考えることができるのです。このために、私は、将来、私たちが、宗教と科学というこの二つの勢力を、現在よりももっと密接に関係させるために働かなければならならなくなるだろうと考えています。
98、事物が単に「名前だけの存在」であるということは、それらがまったく存在しないということを意味していません。そうではなく、事物は存在しているものの、それ自身の力で、それ自身の本質によって、それ自身の実体によって存在しているのではないという意味であることに注意してください。(中略)何もないということではなく、また何もないということによって起こる困難もない(後略)(西田哲学との接点)
134、「利他の心」(菩提心)を発現させるもう一つの方法は「自分と他人を同等とみなす利他心」(自他平等心利他行)と呼ばれます。ここであなたは自分と他人とどちらが大切か考えねばなりません。選んでください。他には選択肢はありません。この二つだけです。自分と他人とどちらを大切に感じますか。他のものは数から言えばあなたよりずっと多くて数えきれません。しかし、あなたはたった一人です。あなたも他人も苦しみを望んでいません。幸福を望んでいます。またあなたも他人も生き物であるので、等しく幸福を獲得し、苦しみを乗り越えるべきあらゆる権利を持っています。
 「なぜ私には幸福になる権利があるのか」と問うなら、その究極的な理由は「私が幸福を望んでいる」ことにあります。それ以外の理由はありません。私たちには「私」という生まれながらの強力な感覚があり、「私」という基礎に基づいて幸福を求めています。単にこの感覚だけが私たちが幸福を求める基盤なのです。それは人間の権利でもあり、あらゆる命あるものの権利でもあります。あなたがもしこのような苦しみを克服する権利を持っているのなら、当然あなた以外のすべての命あるものも同じ権利を持っていることになります。加えて、あらゆる命あるものは基本的に苦しみ克服する同様の可能性を与えられています。
 唯一の違いは、あなたは一人で他のものは多数であるという点です。したがって結論はおのずから明らかになります。たとえ一つのささいな問題、一つの小さな苦しみが他のものに起きたとしても、それは無限なのです。
 一方、何かがあなたに起きるときにはそれはあなた一人だけの問題に限られています。このように他のものを同じ命あるものであると見るとき、自分自身というのは大して重要なものではなくなるのです。
174、(前略)他空説は、究極的真実はそれ自身の性質によって存在するものであると主張し、すべての事物は実体として空であるとする中観派をニヒリズムとして蔑視します。チベット仏教のさまざまな学派_ニンマ派、サキャ派、カギュ派、ゲルク派_から輩出した優れた学者たちは、このような他空説をとりわけ強く否定します。
194、仏教において修道と同時に存在論が非常に重要な要因なのです。

 この二人の論説には明らかに自己犠牲的な原羞恥的呼び声による賭けという人間の精神が主張されている。まずウィトゲンシュタインが世界が物の寄せ集めではなく、事実の寄せ集めであるとする考えには私たちの存在が私たちを世界に投企する行為性によって世界を変えることの可能性に満ちていることを示している。それは私もそうだし、あなたもそうだし、私たち以外の全ての存在にも言えることである。存在することが私たちによって世界と認識されるものの中にあって尚参加すること、参加することで世界は刻々変わりつつあることの現実を言っているのだ。
 また映像が一つの事実であるなら、私の映像(茂木健一郎的に言えば、私のニューラル・ネットワークの中の私の脳が作り出した世界)も一つの事実であるなら、あなたの映像も、他の全ての人々の、他の全ての生物、生命体にとっての映像(それは視覚知覚能力のない存在者にとっても触角、聴覚、その他で触知し得ることとしての)もまた、全て等しく事実であるということ、それはある皆に共通して見える事象でさえも、その見る位置によって全て異なった様相であることの主張である。だからこそ逆に西田幾多郎が言う次のような言葉が意味あるものとなる。

「知る」ということは「構成する」ということである。
 内容を得るということは必ずしも内容に合うということを意味しておらぬ、我々が意識内容に合うと考える時、既にその内容を構成しているのではなかろうか。例えば「火が熱い」ということは直に経験の内容に一致しているように考えられるが、これは既に構成せられた客観的事実に合うのである、厳密なる直接経験の上では「火が」ということすらもいい得ないであろう。(「自然科学と歴史学」より)
 
 この視点は明らかに脳科学者の茂木健一郎が啓示を受けている。彼は脳内現象として理解すること(彼によればアハ体験)とかセレンデヒピティーを捉えているが、これは西田のこの部分の主張と多く重なる。西田にとって知ることとは、知るような脳内作用を発現すること、つまりニューラル・ネットワークの作用を得ることなのだ。そしてそれはウィトゲンシュイタンが世界を事実と捉えた視点が、丁度世界を認識する脳内現象であるような意味でセレンディピティーを体得することであるとも言える。また興味深いことには西田のライヴァルでもあった鈴木大拙は「日本的霊性」において次にように言っているが、彼の主張にもまた西田の構成するということの意味と共通する考えが見出せるのだ。
 
 神道は惰性的世界にいながら霊性的世界を概念で現出させようとする。そこに物足らぬところが感ぜられるのである。それは絶対愛の動きが日本的霊性の上で感じられるという経験的事実が、まだそこにないからである。
 大地に親しむとは大地の苦しみを嘗めることである。
 絶対的愛の霊性的直覚はかくの如き観念性の下地からは芽生えぬ。ことに日本的霊性は具体的事実のうえに育てられているであるから、その事実の動かぬところでは働き出ないのである。日本人の霊性的直覚は文字や記録の詮索ではない、それから生まれるものは知性的である。知性に大いに大事であることは、もとより疑いを容れないのであるが、知性は霊性的直覚のなかから出てほしいのである。(中略)惰性的直覚を説くものも知性の言挙げを忌むが、それは霊性からするものと同一系列には属さないということを、深く記憶しておかなくてはならぬ。
 
 鈴木の言う霊性とは西田の言う構成することに他ならない。西田の言う客観的事実とは鈴木の言う経験的事実と相同であり、それは科学的認識である。次章で詳しく論じるがテクスト論的に言えば、哲学は「世界」であり、科学は「世界について」である。そして霊性も構成することも、共に世界を持つことである。鈴木は惰性を霊性を獲得するための下地であると捉えている。そしてそれを概念で現出させようとするところに姑息さを感じている。これはウィトゲンシュタインが世界を事実と受け取り、事実を構成する我々が主体的に行動することの意味を訴えていることと相通じる。そしてそれは134ページのダライ・ラマの格言にも通じる自己犠牲精神の原点とも言える。滅私奉公ということには、奉仕ということには幾分そういう面があり、それはルソーが「社会契約論」で述べた一般意志(彼によれば特殊意志と対立する。特殊意志とは個人の欲望的なエゴイズムであるのに対して、これは自己利益優先主義の放棄から得られる。)の発現と捉えることが出来る。
 しかし人間はなぜ自己滅却的に奉仕するのだろうか?私はここに人間固有のギャンブル的感性の発露を見るのだ。このことについては茂木健一郎の諸著作において述べられているペンギンの例をまず挙げるのがいいだろう。ペンギンは氷の上から海中に飛び込むべきか、未だ猶予すべきか常に他個体のペンギンに先へ行けと促しているように見えるが、これはもし海中に飛び込み海豹に捕食されるかも知れない可能性と、そのためにいつまでも氷上にいれば飢えてしまうという必然性との間で常に揺れ動き、決心がつかないでいるということを茂木は繰り返し述べている。このことは脳科学的見地からも重要なキーが隠されているのだろう。つまりこういうことである。躊躇とはそれが正しいと判っていながら、そのことで得る報酬以前に損害を被ることに対する失敗可能性に対する着眼が齎す恐怖に起因するのだ。それは文化とか歴史全般にも言える。鈴木大拙は日本は平安時代には未だ本格的な日本的霊性には突入しておらず、鎌倉時代以降初めて真に普遍的なるが故に真に日本的でもあるところの霊性を獲得したと捉えた。これはそれ以前の時代を前哨戦として、つまり躊躇が払拭されていない時代として捉えていることを意味する。
茂木健一郎は著書「脳と創造性この「この私」というクオリアへ」でかつて西田幾多郎が毎日散歩していた「哲学の道」を自分で歩いた時、あまり哲学的思考に至らなかったことを告白し、そのことを後日自分にとって珍しい観光地でもあるそこでさまざまな余計な新奇さに対する目移りという事態が日常性を非日常性へと転換させ、哲学的思考を阻んでいたと述べている。つまり日常的に見慣れた景色でこそ我々はジャ・メ・ヴュを得ることが出来るというわけである。これはもう一つのセレンディピティーである。セレンディピティーとは偶然の発見をなす人間の能力であり、脳科学で昨今注目を集めているという。
 しかし海中に先に飛び込むペンギン個体がいればこそ、先鞭をつけてくれる個体に付き従う従者を呼ぶわけだが、実際人間社会でも先鞭を付けた者は尊敬され、それに付き従う者は先鞭者の追随者であると言われる。勿論偉大な弟子というものはいつの世にもいるが、やはり先鞭を付けた者の方が大体高く評価される。しかし先に飛び込むペンギンのような者は傷を負うかも知れないし、殺されるかも知れない危険と隣り合わせである。そういう万が一の可能性に賭けて飛び込む勇気は、それに伴うリスクを承知でことを始めるわけだから、リスクの可能性を考慮に入れると躊躇せざるを得ない。しかしその躊躇を打破するものがギャンブル的感性による快楽授受の選択である。
 しかしそれではウィトゲンシュタインは最後の章で述べているようにリスク回避主義者ではないかと思われる向きもあろうかと思うが、実はそうではないのだ。というのも彼はこの6、54の最後文の前でこう述べているのだから。
 
 読者はこの書物を乗り越えねばならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。

 つまり我々はウィトゲンシュタインを哲学者として考える時、そこに行動をすることを主張した論者の姿を見つけることが出来る。知ることが構成することである西田の論理も、このウィトゲンシュタインの論理も、そしてダライ・ラマの利他的行動の薦めも実は皆同一線上の主張であることが分かる。私は私以外の全てとの相関性で私であり得るという彼の主張(88~89ページ)は脳内の神経作用であるところのあるニューロンの発火現象は、脳内全体のニューロンの状態との相関性においてある作用の意味を持つことであり、それは丁度ドーキンスが遺伝子の遺伝子座による遺伝子全体におけるある遺伝子の組み合わせの相対的在り方によって発現するという認識と相同のメカニズム認識を見ることが出来る。それは自己が自己を取り巻く自然環境や社会環境の中で自己という位置を認識し、外界との関係において自己の在り方全般を知ることと論理的に相同である。その意味では人間であろうと動物であろうと自と他、自と世界全体という関係の存在論(まさに194ページの言うように)においては変わりないということを示している。ただ我々人間は言語的にそれを認識し得るのみである。
 しかし思い切って飛び込むペンギンのような行動はある安定をぶち破る時ギャンブル的感性を呼ぶが、それを行為選択における意志決定合理化として後押しするものは、ギャンブルの際に脳内に放出するドーパミンの作用である。それはある種の快楽的作用を伴うのではないだろうか?ここで三つばかりの例を挙げることは無意味ではないだろう。
 英国の動物学者のマット・リドレーは次のように述べている。
「雌のマウスに子を与えると、初めは無視するが、次第に母親らしく接するようになる。この反応が起きる速さは、マウスによって大きく違い、やはり赤ん坊のころによく舐められたマウスほどすばやく反応する。マイケル・ミーニーによるこの研究結果は、これにかかわる遺伝子がオキシトシン受容体の遺伝子である可能性を示唆している。赤ん坊のときによく舐められたマウスは、この遺伝子のスイッチがオンになりやすくなっているのだ。幼いころ舐められると、なぜかこの遺伝子のエストロゲンに対する感度が変化する。実際の仕組みはわからないが、脳内のドーパミン系が関係しているのかもしれない。ドーパミンはエスロゲンとそっくりの働きをするのだ。すると話は一層込み入ってくる。幼いころ母親の愛情を受けないと、ドーパミン系の発達にかかわる遺伝子の発現が変化すると考えれば、恵まれない環境で育った動物がある種の薬物に依存しやくすくなるのもわかる。薬物が、ドーパミン系を通じて精神に影響を与えているのである。」
 このことから我々はドーパミンが通常のレヴェルで放出されると逆にそれほど大きな逸脱をすることなく、精神は安定していると捉えることが可能である。オキシトシン(平滑筋<主に内臓、血管を構成する不随筋で、単核の細胞からなる。縦(横紋構造)が見られないのでそう呼ばれる。>の収縮を引き起こす。九個のアミン酸による環状ペプチドホルモン。下垂体後葉から分泌される。ОTと略。)がエストロゲンに対して感度よく作用することそれ自体をドーパミンが請け負っていると考えることが出来る。つまりドーパミンという物質は、よく言われる報酬に対する期待によって放出されるという一般的通念を遥かに超える作用を有しているということになる。
 ドーパミンとはカテコール・アミンの一種でジヒドロキシフェニルアミン、あるいはヒドロキシチラミン、L―ドーパの脱炭酸(有機酸のカルボキシル基<カルボン酸基の_CООH基>からCО2が脱離すること。アミノ酸が脱炭酸によりアミンとCО2生成するのがその例)で形成される神経伝達物質である。ドーパミンの欠失はパーキンソン病の特徴の一つである。ドーパミンはチロシン代謝における中間体(中間<代謝物>物、反応に関与し、反応の出発物質と最終生成物の間に生ずる化合物。代謝では、中間物は一方で栄養物質との間で、他方で細胞成分や老廃物との間で生ずる。)である。そしてやはり英国のライター、ローワン・フーパーは次のように語る。
「スイスのフライブルグ大学のクリストファー・フィリオら実験によれば、報酬への期待だけでなく、”不確かさ”に対してもドーパミンが働いていることが示された。フィリオはパブロフが犬を訓練したのと似た方法で、サルを条件づけた。ベルの代わりにヴィジュアル・イメージをつかい、ある種の視覚的刺激を見せた後にシロップを与える。しかし常に同じ報酬を用意したわけではない。研究者たちは、サルにシロップを与える確率をさまざまに変えてみた。つまり、実験に”不確かさ”の要素を導入したのである。
 コンピュータのモニターに5つの視覚刺激(映像パターン)を映し出し、ご褒美が貰える(映像が表示された数秒後にシロップが出る)チャンスをそれぞれ100、75、50、25、0パーセントとした。サルたちが唇を嘗める頻度は絵柄によって差があった。ということはサルたちは映像の違いを認識できたということだ。
 結果は驚くべきものだった。研究者たちが見いだしたのは、不確かさが最高に達したとき(シロップを貰える確率がわずか25パーセントのとき)ほぼ30パーセントものドーパミン・ニューロンが活動を増進させたことだった。さらにご褒美のシロップを増量したときにも、ニューロンの働きは強化された。
 いくつかのニューロンは、報酬が貰えるかどうかが、より"不確か"になったときに、より多くのドーパミンを放出した。フィリオら研究者たちは、脳のこうした働きは、不確実な状況に直面した際の集中力や学習力を増大させうるものだと示唆している。
 彼らは、ドーパミンの増加はギャンブルの快楽的側面に関係していると考えている。この指摘は信じがたいものではない。というのもドーパミンは薬物中毒に関係しているからだ。ギャンブルも、多くの人間に中毒症状を引き起こす。
 もちろん人間の脳は、カジノがたくさんあるような環境で進化してきたわけではない(ラスヴェガスに住んでいる人はいるとしても)。パチンコ店やルーレット盤やスロット・マシーンに取り囲まれて、今日ではさらにインターネット・ギャンブルやヴァーチャル・レースの誘惑も加わって、脳内の化学物質は私たちを無益な行動に駆り立てているのかもしれない••••••。
 「リスク・テイキングな行為は、実験室やカジノでは不適当行動かもしれない」とフィオリロと共同研究者たちは書く。「しかし確率がきまりきってしまい、もはや有益な学習ができないような場合には、あえて危険をおかすことが自然環境を生き抜く上で有益になりうる。野生の環境では、さまざまな刺激や情報を深く学習することが望ましい。それらは報酬の確かな前ぶれとなりうるのだから」
 自然環境ではリスク・テイキングな行動は有用である。不確かな状況に直面する動物が周囲の環境を学習し、ある特定の事象がどんな結果につながるかを予測するのを助けてくれるのだ。
 そのメカニズムこそ、ラスヴェガスのカジノや日本のパチンコ店のオーナーたちの収入の、究極的な源泉といっていい。彼らは財産をつくるために、ドーパミンに頼っているのである。[2003年3月27日](180~182ページより)
 私たちは不確実な未来に対してキルケゴールやサルトルらが感じたような意味で不安を覚える。しかし同時に未来への不安は希望や期待、願望を生む素地でもあるのだ。そして私たちは勇気ある行動を、何もしないでいることよりも価値と考える。それはある時には死を賭して行動することさえも称賛することを厭わない。勿論そういうヒロイズムはある意味では右翼的行動へと直結するから平安な時代や生活においては危険な思想でもある。しかしそういうものに対して憧れを抱くということの証拠に、我々は格闘技やレースといった生命の危険に晒された競技に熱中するし、自分さえ安全地帯にいるのであれば、過激な活動家が起こした事件や、自分の身内や同じ日本人でさえなければ外国のテロ自爆事件などにさえニュース映像を眼にして興奮したりする。
 私たちはある意味では残酷なことが他者に起こることを潜在的には期待しさえする。対岸の火事を高見の見物と洒落込む気分にさえなる。
 私たちは格闘技やレースを行う選手たちが生ぬるいレースや試合をしていると罵声を浴びせ、「本気でやれ!」とか「死に物狂いでやれ!」とは言う。 
 つまり退屈が嫌いな我々は安全なこと、変化のないことを映像においても、実際の社会においても期待してはいない。ニュースなどというものは、自分さえ安全であれば、他人の不幸を喜んで聞くという人間の本性に対する欲求充足のものなのである。
 スキューバダイヴィングをするのも、ハンググライダーに乗るのも、車に乗るのでさえ、実は我々は無意識の内にスリルを求めているのである。もし自動車が安全で決して事故が起きない乗り物であるなら、カーレースを見に行く者などいなくなるだろう。
 あるいは「あるいは死ぬかも知れない」という迫力のない格闘技を我々は態々高い入場料を支払って観戦するだろうか?
 だから私たちはその危険と、危険を乗り切ることで報酬を得るということに対して何ら疑問を持たないし、それは当然だ、と思う。そしてそのような物の見方は明らかに偉人に対する尊敬心に対しても適用出来る。若くして認められて、いい社会的地位に就いたような思想家や哲学者を我々は崇拝しない。あるいは体制的に天下を取った芸術家を真に応援しようという気にはならない。勿論一世紀の間に一人くらいは、例えばピカソやビートルズのような存在に対して贔屓するということはあるだろう。しかし概して非難されたり、批判されたり、逮捕されたり、反社会的思想や行動を採っても、どこか憎めないようなアンチ・ヒーローこそが我々の求めるヒーローとは言えないだろうか?そのヒーローを取り巻く社会において我々が崇拝するヒーローに対する人間的評価は多くの場合芳しいものではない。例えばウィトゲンシュタインはゲイでもあったし、中学校教師時代には生徒に対して暴力沙汰も起こしている。彼は通例で言う熱血教師ともまた違ったようだ。熱心な教師ではあったようだが、要するに変人であり、神経質な教師だったようだ。
 しかし彼の哲学思想を知る我々にとってそのような悪評の全てが寧ろ好感を持つ、あるいはヒーロー視する理由にさえなっている。
 我々はサルトルとボーボワールが正式な夫婦ではなかったことを寧ろ彼らの哲学思想を尊敬する者にとっては誇りにさえ思うところがある。そしてそういう物の見方は一面では哲学思想への傾注を誘引する強力なモティヴェーションにさえなっている。
 ダライ・ラマ14世が何の政治的困難もない人物であったなら、我々は師に対して今ほど尊崇の念を抱くであろうか?そういうレヴェルからだけで師を評定することは間違っているかも知れないが、我々はそういう政治的なスリリングな命運の師であるからこそ、そこにヒロイズムを見出すのであり、そこには何かフーパーやリドレーの指摘するような他者に対する尊敬の念においてさえ脳内でドーパミンを誘引するような作用があるのではないだろうか?
勿論彼等の哲学、思想への我々の傾注はそういうことから始まっていると言うのではない。しかしもしその哲学や思想に共鳴し得るのなら、その時そのような情報(逸脱した運命であるということ)を付加価値として認識することを厭わないという意味では私たちは崇高な思想(そういうものがあるとしてであるが)にさえ、そういう好奇の眼差しを注ぐことを否定しない、そういう生き物であると捉えた方がより実存的な気があなたにはなさらないであろうか?

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